2013年12月22日日曜日

観光拠点施設? それ何?

 皆さんは、観光地を訪れた際、観光拠点施設に行きますか?
 
 そもそも観光拠点施設って何?という声が聴こえてきそうです。

 観光客の立場でいえば、たまたま入ったトイレがそのような施設の中にあっただとか、道を聞こうとして入ったら実はそこがそうだったとか・・・。

 実は今、松阪市では、まちなかに観光拠点施設なるものを建設しようと着々と準備が進められています。場所は市役所横の旧長谷川邸の敷地内です。建設費の総額が10億円という話も出ています。

 その一方で、市内に数多くある公共施設は、その老朽化が大変な問題になっています。そのため施設仕分けを敢行し、施設の統廃合も視野に入れた検討がなされています。

 そこへ新たな観光拠点施設の建設の話が出てきましたので、驚いています。

 まちなかには、まだまだ観光機能として活かし切れていない施設や建造物が幾多も存在しています。

 松阪市議会では先般の議会で、計画をゼロベースに戻すよう意見し、市側も逐一情報の提供に努めることを約束しました。

 このような話は、観光の全体像、まちなかの将来像を描いた上で、その各論として議論していくものではないでしょうか。少し先走っているように感じます。

2013年12月14日土曜日

市議会議員は全国民から負託されている!?

 やはり市民参加条例なるものは歪(いびつ)な姿をしたものでした。

 12月12日に開催された松阪市議会総務生活委員会での議論は、結局のところ、提案者の夢想を聞かされるだけのもので、議論の噛み合うところは一つもありませんでした。

 何しろ中身は、市議会(ならびに行政)は、松阪市民のみならず、全国民に対してもあまねく公平に情報を提供し、発言機会を設け、そこから出された意見を尊重しなければならないという条例(つまり松阪市のルール)なのですから。

 いつから市議会議員は全国民から負託を受ける立場になったのでしょうか。いつから全国民に対してすべての責任を負う立場になったのでしょうか。

 「理念条例だからこれで良いのだ」とも言っていました。今、私はこれを「詭弁条例」と命名しておきます。

 「市民参加」の「市民」とは誰のことを指すのか、よくよく注意して取り扱わなければなりません。

 気が付けばかけがえのない私たちのまち松阪がいつの間にか取り返しのつかない事態に陥ってしまっていた・・・なんてことが現実に起こらないためにも。

2013年12月4日水曜日

やっぱりおかしい・・・市民参加条例

 「市政に市民が参加する」と聞いて、誰もおかしいとは思いません。

 では、その「市民」が、政治活動家(秘かに良からぬ魂胆を抱いた人たちもいる)や市内に住んでいるのかどうか分からず、どこの誰とも名乗らない人たちだったらどうでしょうか。

 私たちはその人たちを素直に歓迎することができるでしょうか。その人たちと腹を割って語り合い、共に汗をかき、一つの目標に向かって歩を同じくすることができるでしょうか。

 このような人たちとも一緒になって議論し、公平に意見を取り入れながら市政を運営していくのだと市のルールとして取り決めるのが、このたび一部の議員から松阪市議会に提出された「市民参加条例」というものの正体です。

 名称は違いますが、10月に2度目の否決をしたばかりの「市民まちづくり基本条例」と理念も中身も同じものです。このような条例が再び提出されたことに正直、驚いています。

 本会議では、この点をしっかりと指摘しておきました。

2013年11月15日金曜日

英霊にお誓いする

 松阪市戦没者追悼式が厳かに執り行われました。
 英霊の御遺志に恥じぬ国造りが求められていることに、あらためて身の引き締まる思いがいたしました。
 

 私たちは誇り高き日本を築き上げていかねばなりません。そしてこの美しき故郷を守り抜かねばなりません。今こそ私たちは英霊の御遺志を継ぎ、実現するときではないでしょうか。

2013年11月14日木曜日

いじめ防止対策に学校現場は?

朝日新聞の記事から。
 平成25年11月14日付(朝刊)教育コラム

 「いじめ防止対策推進法の具体的運用を定めた国の基本方針がまとまり、文部科学省は都道府県教育委員会に通知した。」との記事があります。

 そして「文科省はさらに詳細ないじめ対策ガイドラインも作る考えで、現場には教師の負担増を懸念する声がある。」と続きます。

 果たしていじめを把握することは教師にとって負担であると認識すべきものなのでしょうか。教師が聖職ではなくなったといわれて久しいですが、当たり前のことを当たり前にしてこなかっただけなのではないでしょうか。

 教室では「いじめがあったら教えてね」と子供たちに要求します。
 それができないから子供たちは思い悩むのでは。

 教師自らいじめを把握しようという意識がもっともっと必要なのではないでしょうか。「子供たちからいじめの報告がなかったから」といって、学校現場の責任が免責されることがあっては子供を持つ親はやりきれないです。

2013年11月13日水曜日

議会報告会にて市民まちづくり基本条例についてご報告

 松阪市議会は、11月12日(火)、花岡地区市民センターにおいて議会報告会を開催しました。 多くの方々にご参加いただきました。ありがとうございます。

 ここで多くのご意見をいただいたのが、やはり松阪市議会で2度目の否決をした「市民まちづくり基本条例」に関するものでした。

 ご意見を伺う中で、これまでの市側の説明やマスコミ報道の影響もあり、どうしてもこの条例の制定と住民協議会の規定とを結び付けて把握されている方もいらっしゃいました。

 住民協議会の規定を重要視するあまり、この条例に存在する特有の問題をあまり重要でないとされているようなのです。この条例の制定問題と住民協議会の規定とは別の話であると考えていただいた方がご理解いただきやすいのではないでしょうか。

 既に住民協議会に関する事項は市の「規則」に規定されており、住民の方々が運営していく上で、何ら支障をきたすものではありません。

 問題は、別のところに存在しているのです。 そのことは何度か私の市政報告「うえまつーしん」でも指摘していますので、是非とも今一度、下記ページをご参照ください。

うえまつーしん第13号
うえまつーしん第9号
うえまつーしん第8号
うえまつーしん第5号


  私は、この住み良い松阪のまちを守っていきたいのです。勿論それは皆さんも同じだと思います。 これまでに多くの方々からメール、お電話等でご賛同をいただいています。

  そうであるならば、松阪市として為すべきことは、あらぬ混乱を招きかねないものは取り入れないということです。 このような条例がなくとも、皆さんの手によってまちづくりはしっかりと行われています。 それは住民の皆さんが一番ご存知のはずです。

  是非、これからも知恵を出し合い、魅力あるまちを創っていこうではありませんか。

2013年11月11日月曜日

議会改革の一環として、議会報告会を開催します

 松阪市議会では、議会改革の一環として、定期的に全議員による議会報告会を開催しております。2,3月の予算議会と9,10月の決算議会それぞれの閉会後に開催します。

 今回は平成24年度決算審議を主たる内容とする議会報告会です。
 開催日は11月12日(火)、11月19日(火)、11月21日(木)です。詳細は下記ページをご参照ください。
http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1379391010505/index.html


 この度否決しました「市民まちづくり基本条例」や「住民投票条例」についてもご報告いたします。
住民の皆さんと意見交換をさせていただく時間も設けておりますので、是非お越しください。

 
 今後もこのような機会を積極的につくり、直接皆さんの“声”を聴き、市政の発展に繋げていきたいと思っています。

2013年10月17日木曜日

そもそも住民投票は現行法の中で行うことができるようになっています

 10月15日、松阪市議会の総務生活委員会において「市民まちづくり基本条例」案・「住民投票条例」案について審議をし、委員会としては住民の皆さんの意思を尊重し、到底認めるわけにはいかないという多数の統一意見の下、否決という結論を出しました(最終の決議は18日の本会議において行います)。

 本条例案に対しては様々な考え方が存在しますが、これらを否決すべき理由や背景の概略は前々回の本ブログの中で述べた通りです。そして今回、委員会審議の中で、特に住民投票条例案に関する議論を集中的に行い、地元紙に記事としてもその内容が一部掲載されました。

 このような一連の流れから、ともすれば住民の皆さんの中には「この否決によって松阪市のまちづくりが一歩後退してしまうのではないか」という印象をお持ちになってしまっている方々もいらっしゃるのではないでしょうか。

 そのような不安を払拭するためにも、あえて次の2点に絞ってこの問題について補足しておきたいと思います。

 一つには、そもそも住民投票は本条例案が無くとも現行法(地方自治法「直接請求」第74条)に則って行うことができるという点と、もう一つには、この則るべき地方自治法「直接請求」第74条の規定内容が、日本国籍を持つ20歳以上の有権者に限られた権利だという点(「日本国民固有の権利」とも言われるもの)です。

 つまり、今ある「日本国民固有の権利」を行使すれば、いつでも住民投票を行うことができるように既に制度化(一定数以上の連署は必要ですが)されているのです。したがって皆さんの権利を考えればこのことをもってして「市民まちづくり基本条例」やそれに付随する「住民投票条例」などは無くてもよい条例だということができるのです。

 
 そうであるなら、なぜ条例化が叫ばれているのか、言い換えれば、条例が制定されて一体何が変わるのかを考えなければなりません。

 本条例が制定されれば、、「日本国籍を持たない人たち」も住民投票を行うことができるようになります。つまり、地方自治法にある「直接請求」権の権利行使の手続きを取らずとも、松阪市独自で作った「住民投票条例」に則って国籍に関係なく住民投票が行われてしまうということです。

 これは「日本国籍を持たない人たち」に本来ならば付与されていないはずの「直接請求」権という権利を付与することと同等の意味を持つことになります。

 こう考えれば、本条例案は無くてもよい条例ではなく、「あってはならない条例」だとも言えるのです。

 誤解していただきたくないのは、これは決して「日本国籍を持たない人たち」のことについて申し上げているのではなく、問題としているのは、地方自治法という法律の趣旨を無視してまで松阪市が独自にこのような条例を作ることに対し、すべての住民の皆さんは承知しているのですか、ということなのです。言うまでもなく承知しておりません。

 私はこのような条例案を受け入れることなど到底できません。もし受け入れてしまえば、それは良識ある住民の皆さんの意思に背くことにもなります。

 念のために申し上げれば、これらの条例案が否決されたからといって、これからの松阪市のまちづくりが後退するなどということはありません。

 
 18日の本会議には、強い決意を胸に臨みたいと思います。

2013年10月6日日曜日

松阪市の中心市街地問題は高齢化と人口流出の問題!?

 松阪市の中心市街地といえば、松阪駅西前から続く商店街を中心とした区域や駅東の国道沿いの区域を指しますが、他の地方都市と同じように、特に駅の西側の商店街ではシャッターを閉める店が後を絶たず、それに伴い、若い世代も市の郊外などの区域外に移り住み、高齢者の割合が増え、空き店舗のみならず空き家も増え続けるという状況が続いています。
 

 駅に隣接した市内唯一の百貨店が平成18年に閉店してからというもの、その傾向はより顕著なものとなり、中心市街地の空洞化は止まりません。

 松阪市はこの状況を打開しようと、「松阪駅西地区市街地再開発事業」の都市計画を決定したのが平成20年のことで、その後、核的事業が整わなかったことなどからこの計画は断念され、新たに中心市街地の再生のための政策が練られ、アクションプラン(平成22年度~平成24年度)として平成22年3月にまとめ上げられたのが「松阪まちなか再生プラン」(以下、再生プランという。)でした。

 したがって、この再生プランに基づいて様々な政策が実施されることによって中心市街地の諸問題、つまり高齢化の進展や人口流出などによる街の空洞化問題が解決に向かわなければならないはずでした。

 ところが、ご承知の通り、依然として中心市街地は再生に向かっている状況にはありません。

 一体、どこに問題があったのでしょうか。

 私は再生プランの位置づけに問題があったのではないかと思っています。

 再生プランの掲げる課題認識と理念に注目すると・・・。

 再生プランの冊子には、冒頭でしっかりと中心市街地の空洞化問題が認識され、これを克服することが最大の課題であると明記してあるにもかかわらず、それにつづく再生プランの理念では「本市にある様々な「食」のすばらしさを感じ、先人の築き上げた「歴史」を温め、それらを次世代に語り継いでいくことを基本にするものである」(編集:植松)としているのです。

 課題に示された内容とそれを克服するための理念とが一致していないと言わざるを得ないのではないでしょうか。

 松阪市のまちづくりに再生プランをどう活かしていくのかというプランの位置づけが明確になっていないのではと思うのです。

 街の食べ歩きマップを作成したり、中心市街地に「国学の道」を設定し、歴史の再発見を促したりするなど、住民の皆さんや商店の皆さんが真剣に取り組んでいらっしゃる事業は、正に再生プランが理念として掲げる「様々な「食」のすばらしさを感じ、先人の築き上げた「歴史」を温め、それらを次世代に語り継いでいくこと」に繋がるものです。

 ところが、松阪市が最大の課題として挙げている高齢化の進展や人口流出などによる街の空洞化問題の克服には直接的には繋がっていないのではないでしょうか。

 実際、中心市街地の高齢化率の上昇は止まらず、今や34%を超え、空き店舗も増え続け、空き店舗率は22%を超えています。そして市が昨年行った市民アンケート調査では、半数以上の市民が「中心市街地にもっと居住を促すべきだ」としているのです。

 再生プランの理念通りに実施しているにもかかわらず、それがことごとく課題克服に繋がっていないとは何と皮肉なことでしょう。

 私たち住民は、市の「みんなでできることからまずは始めよう」という合言葉の下、それに呼応するようにそれぞれの立場で再生に向かって取り組んできました。

 しかし、一方で市の行政は、その合言葉の裏側には「できないことは後回しにしましょう」という意味のあることを私たち住民には示さず、自ら目を背けてきたのではないでしょうか。

 中心市街地の空洞化という最大の課題を克服するのは並大抵のことではありません。だからこそ私たち住民は「できることから始め」なければならず、そのことに一生懸命取り組んできましたし、これからも変わらずに取り組んでいくつもりです。

 しかし、市の行政が一緒になってその言葉に甘んじ、中心市街地における高齢化の進展や人口流出などによる街の空洞化問題を先送りしていては市全体が疲弊し、先細りになってしまうのではないでしょうか。

 そうならないためにも今後は国が提案する「高齢者等居住安定化推進事業」や「空き家再生等推進事業」、「地域自立型買い物弱者対策支援事業」などの活用を通して、中心市街地にお住いの高齢者の方々が安心して住み続けられるような街、そして「中心市街地が生活するのに便利になった」と再び郊外から移り住んでもらえるような街を目指して十分な対策を打っていく必要があるのではないでしょうか。

 このことを次の新たな基本計画(平成26年度~平成29年度)にも反映させていくことが必要ではないかと考えます。

2013年9月22日日曜日

松阪市の市民まちづくり基本条例は住民を置き去りにする!? 松阪市議会議員 植松泰之

 松阪市議会が昨年(平成24年)3月に否決した「市民まちづくり基本条例」が再び10月の議会に上程されようとしています。

  この条例は、「市民」を定義づけるのに市外の人々も含めている点や「住民投票」に参加できる投票権者に外国人を含めている点など、市政の根幹を揺るがしかねない多くの問題を含んだもので、松阪市に住む多くの方々もパブリックコメント(意見聴取)等を通じて制定反対を訴えたという経緯のあるものです。

 では、この条例が私たちの指摘通りに修正されて再上程されるのかといえば、本質的に何ら変えられていません(多少の言い回しが変えられている箇所がある程度)。

 私たち松阪市議会はこれに対する扱いに今、大変頭を悩ましています。

 何としてもこの条例を制定したいと思っている議員は「議論の場を作って大いに討論すべきだ」などと迫ってきていますが、討論するといっても昨年まで十分に議論してきたこの条例に対し新たに何を議論しようというのか分からないのです(同じ意見を披露し合うのならできないことはないのですが)。

 
 既に議論の論点整理もできており、見解の相違、国家観の相違から互いに歩み寄れるところがないのは明らかになっています(例えば、外国人にも住民投票権を与えるべきだと言われても、これは話し合って落としどころを見出せるような案件ではないのではないでしょうか)。

 また、私たち松阪市議会が皆さんの町に出向いて行う「議会報告会」では条例制定を否決したことに対して異論は聴きませんでしたし、先の市議会議員選挙では私自身も含め他の多くの議員は条例制定を否決したことに対し、むしろ賛同を得てきたという経緯があります。

 以上のような経緯はすべて無かったことにして、もう一度議論すべきなのでしょうか。議論とは一体何なのでしょうか。

 皆さんから寄せられた多くの貴重なパブリックコメントも無かったものとして、もう一度意見を聴くべきなのでしょうか。

 
 一体、誰のための条例なのでしょうか。

 何を目的にした条例なのでしょうか。

 良識ある松阪市の皆さんが下した昨年の判断は大変重たいものです。その結果が気に入らないからといって「もう一度、議論の場を作って一から討議すべきだ」などとは私は到底言えません。

 当然、松阪市議会に条例が上程されれば、互いに意見交換はしますが、話し合って落としどころを定めたり、修正を加えたりできるものではないでしょう。そのようなことをすれば、それは松阪市の住民に皆さんの意向に背いてしまうということに他なりません。

 「再び議論する場を持つことが善、議論を避けることが悪」などという単純な構図で考えてしまうと問題の本質を見誤ってしまうかもしれません。

2013年9月16日月曜日

松阪市の決算審査で指摘したこと・市債残高について 植松泰之

 先日の決算審査(総務生活分科会)ではいくつかの疑問点、改善点を指摘しましたが、一点、議論の噛み合わなかったところがありました。

 松阪市には監査委員が3名おり、松阪市の予算が公明正大に執行されているかを定期的に監査しています。そして決算発表と同時に監査委員による審査意見書が提出されます。これも参考資料の一つとしながら議会は決算審査を行います。

 その中に松阪市の市債(起債)残高に対する審査意見がありました。「一般会計、特別会計および企業会計を合わせた松阪市全体の市債(起債)残高は1,163億9,809万円で・・・市民一人当たりに換算すると69万円に相当する」(編集:植松)というものです。

 今回、私が監査委員に指摘してもなかなか議論の噛み合わなかったのは、起債残高(市の借金という言い方もされている)を市民一人当たりに換算する必要があったのか、算出された換算値にどのような意味があるのかという点でした。

 監査委員は「1千億円以上の金額はなかなか想像し難いため、分かりやすくするために市民一人当たりに換算した」と答弁されました。あくまでも分かりやすさを追求したということです。果たして、本当に分かりやすくなったのでしょうか。そもそもどこが分かりにくく、何を分かりやすくしたのでしょうか。実体のない漠然とした値であるがためにかえって不安感を増幅させるだけのものではないのでしょうか。

 借金つまり市債(起債)残高1千億円について論評を加えるならば、もう一方にあるそれと同等の、もしくはそれ以上の“市の資産”があるということに言及する必要があると考えます。「松阪市の借金は市民一人当たり69万円です」といって、今後、松阪市民一人一人が69万円の借金を返済していかなければならない債務者だという印象は持たないと断言できるのでしょうか。市民一人当たりの市債(起債)残高がいくらまで上がれば市が破綻し、いくらまで下がれば健全財政だ、などという公的な指標があるのでしょうか。

 公的な指標には“実質公債費比率”があります。これは松阪市に入ってくる税金や地方交付税のうち、何%が債務の返済に使われているのかを示す指標です。松阪市は7.5%です(この比率が18%を超えると起債するのに許可が必要になります)。「市民一人当たりに換算すると69万円」の借金(市債残高)という表現は松阪市の財政の実態を正確に表し得ないし、むしろ独り歩きし、誤解を与えてしまいかねない言い方ではないでしょうか。また、それならばと1千億円の市債残高を市が全額返済するといって銀行は困ってしまわないでしょうか。

 決して1千億円の市債残高は大きくないと言っているのではなく、財政構造を見るには公明正大で複眼的且つ冷静な見方が必要なのではないかということ、そのような思いから今回は指摘しました。

 自治体の財政を分析するにはいろいろな方法があります。いろいろな考え方もあります。これからも皆さんとともに議論を続けていくことが大切だと考えています。

2013年9月1日日曜日

松阪市の図書館の「これから」を考えてみる : 松阪市議会議員 植松泰之


 松阪市図書館は平成21年度から5年契約で指定管理者制度を導入しており、今年度が最終年度に当たります。そして現在、松阪市は平成28年度における図書館全面改修をも視野に入れ計画を進め、図書館改革推進プロジェクトも87日に発足させ、基本構想の構築を目指しています。

 松阪市図書館は今後の運営を考えていく上で、極めて大切な時期を迎えています。今、改めて今後の図書館のあり方を模索していく必要があるのではないでしょうか。

 この度、私は松阪市議会会派の行政視察で、いち早く公立図書館に指定管理者制度を導入し、一定の成果を上げている千代田区立千代田図書館を訪館し、指定管理者による図書館運営の新たな可能性を探ってきました。これを基にこれからの松阪市における図書館運営というものを少し考えていきたいと思います。

千代田区は、わが街の図書館をわが街らしい図書館にしようと決めました(平成16年)。そのためにまず、そもそも千代田区とはどのような機能と特徴を備えた街なのか、国立情報学研究所へ調査委託し、自己分析を行うことから始めました。その結果、千代田区には企業や官庁に勤める多くのビジネスマンがおり(昼間の人口は居住者数の約17倍の84万人)、大学の数も12校と多く、さらには出版産業を地域産業に持ち、古書店も多いなど、他の地域とは違った特徴を有することが分かりました。

 そこで、まず新しく生まれ変わる図書館の重要な機能を「千代田ゲートウェイ」と命名して、千代田区の地域情報の発信、“出版”に関する情報の発信、本の街神保町との連携による書籍の入手情報の発信を担う情報集積・発信型の施設として位置づけたのです。そしてこの機能を一つのコンセプトとし、さらに「ビジネスを発想するセカンドオフィス」、「区民の書斎」、「クリエイトする書庫」、「ファミリーフィールド」という4つコンセプトと合わせ、図書館のあるべき機能を合計5つの機能コンセプトにまとめ上げました。その上でこれらのコンセプトに沿ったサービスを提供できる企業を募集することにしました(平成18年)。


当然すべての機能・サービスを提供できる企業は存在せず、したがって、企業の専門分野を活かした業務分担を行うことで総合的に運営できるよう3社合同での受託となりました。代表企業は株式会社ヴィアックスで、サービス・総務・学校支援を担当、構成企業としてサントリーパブリシティサービス株式会社は読書振興センター・広報・コンシェルジュを、株式会社シェアード・ビジョンは館長・企画・システムを担当します。


千代田区の図書館は5つの機能コンセプトの下、貸出中心の図書館から「滞在型図書館」へと移行しました(平成19年)。決して貸出数を競おうとはしなかったのです(貸出数を増やそうとすれば新刊やベストセラーを多く取り揃えれば可能です)。このような運営方針は高い満足度(80%以上)にも表れているように、区民をはじめ、在勤・在学の人たちにも受け入れられ、すでに定着しつつあります。指定管理者制度導入後、入館者数が約26万人から77万人まで伸びたこともその証左です。

ただし、住民のニーズに応え、サービスの拡充を図っていくには、それだけ経費はかさみます。千代田区では学校支援のための司書の確保や広報の充実のための図書専門の広報担当者の確保を積極的に進めた結果、指定管理者制度導入後、図書館運営経費が32千万円から375百万円まで増えました。    

したがって、何のための指定管理者制度なのか、更新を控える松阪市はもう一度考えなければならないのではないでしょうか。そしてこれから目指していこうとする図書館の姿はどのようなものなのか、松阪市の住民の望む図書館の機能はどのようなものなのか、改めて問うていく必要があるのではないでしょうか。

千代田区が行ったように、松阪市もまず、松阪市とはどのような機能と特徴を備えた街なのか自己分析することから始めてはいかがでしょう。そしてそれらを基に、多くの住民も交えながら新たな図書館のコンセプトを明確にしていってはいかがでしょう。

新たな図書館を目指し、すでに図書館運営の成功している自治体はいくつもあります。しかし、それらはその地域だからこそ成功したのだと冷静に判断することも大切でしょう。わが街の図書館はわが街でしか成り立たない、そんな図書館であっても良いのではないか、と少し思うようになりました。

2013年8月22日木曜日

少子化をもう一度考えてみませんか? 松阪市議会議員 植松泰之

  子は宝だといわれながら、少子化の傾向から脱したという話はなかなか聞くことができません。
 
 最近発表された合計特殊出生率が1.39から1.41に改善されたといっても、昭和41年のひのえうまの年の1.58を初めて下回った平成元年の1.57を大きく下回ったままです。
 
 その最大の原因は女性の社会進出とそれによる仕事と育児の両立の難しさだとされているのは周知の通りです。
 
 では、そもそも少子化問題に対して十分に対策は取られてきたと言えるのでしょうか。もしくはもうこの問題を解決することはできないと考えるべきなのでしょうか。
 それとも他に根本的な原因があるのでしょうか。
 
 一体、若い人達は明るい未来像を描けているのでしょうか。
  確かな希望を持って結婚を考えているのでしょうか。
 
 結婚したいと思ったときに結婚できているのでしょうか。
 
 経済的な面で家族を養っていけると言えるだけの自信は持ち合わせているのでしょうか。
 
 それとも子供を生んで育てたいという本能は人から衰退してしまったのでしょうか。
 
 このようなことを問うていく中で、別の少子化対策、違った子育て支援を考えていくことはできないのでしょうか。
 
 ひょっとしたらこれまで出された資料やデータなども見る視点を変えれば少し違った姿が見えてくるのかもしれません。

2013年8月21日水曜日

吉田松陰から門下生への書簡~吉田松陰の名文を讀む~吉田松陰.com様よりシェアさせていただきました。

幕末の尊皇の志士、吉田松陰先生の名文をご紹介いたします。
以下をクリックして拝読してくださいませ。
吉田松陰から門下生への書簡~吉田松陰の名文を讀む~
(吉田松陰.com様よりシェアさせていただきました。)

松阪市議会議員 本居宣長ノ宮禰宜 植松泰之


2013年8月17日土曜日

疑ってみることは勇気の要ることかもしれない : 松阪市議会議員 植松泰之

 歳を重ねるにつれ、自分の価値観が安定し、そのお陰であらゆる物事に対して、ほぼ瞬時に判断できるようになっていると思いませんか。
 そして、政治や経済に対しては勿論のこと、仕事に対して、人に対して、家族に対して何かを判断する時や何かを感じる時、あまり労力を使わずに済ますことが多くなってきていると思いませんか。

 大半はそれで問題なく過ぎていくのですが、いざ何かを変えようとする時や何かを始めようとする時はそれでは済まされないことが出てくるように思います。一度立ち止まり、対峙する事象に疑問符を投げかけてみるのも大切なことなのかもしれません。

 例えば、経済において国の借金が1000兆円を超え大変なことだと言われているが、本当なのだろうか。政治において道州制の導入が急務だと言われているが、本当にそうなのだろうか。松阪市議会の改革は議員数を減らすことだと言われているが、どうなのだろうか、等々。

 これまで見聞きしてきたことを疑い、見つめる角度をずらし、我欲を排して立ち止まってみることは決して楽なことではないのかもしれないし、むしろ勇気の要ることなのかもしれません。

 しかし、社会が変わる時とは些細な疑問符の積み重ねによってもたらされるような気がしてなりません。皆さんはどう思われるでしょうか。